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純文学小説投稿サイト『生まれぬ仔を食む』 内田 傾著

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『生まれぬ仔を食む』 内田 傾著


 生ぬるかった。躰の奥の奥、隅の隅までことごとく腐れてジクジクに膿んでいた。細かく振動しつつ熱をも発している。けれどもやはり生ぬるいに違いなかった。下腹部に感じる腫れた肝臓の痛みすら痺れて鈍く疼き、彼に重く、そして不快に甘ったるかった。
 彼はようやく眼を開いた。眠りと目覚め境界では、旋回する翼だけがあった。それは天井から無様にぶら下がった古びたファンで、根元がぐらつくのだろうか、廻転運動の反動で歪に傾きながら廻り続けていた。けれどもその廻転は無意味な運動であった。湿り気を大量に含んだ室内の空気を、闇雲にただ掻き混ぜているのみであった。
 彼は眼を擦りもういちど旋回する翼に眼を据えた。けれどもそれは、先ほどまで見ていた夢の続きであるように曖昧としていた。寝汗と精液でぐっしょり湿ったマットレスに起き上がってみてようやく、彼は自分自身に気がつくようですらあった。蕩けて部屋全体に拡がってしまっていたものが、ようやっと一つに固まりつつある、そうよんで差し支えない印象であった。

 ふっと彼に目覚めきらぬ地点と夢の終結部分が二重写しになった映像が蘇ってくる。彼は足の痒いという幼女を抱え、高速で廻転する旋盤に、その子どもの足を押し付けていたのだった。肉は弾け飛び、骨がぐちゃぐちゃと砕けた。幼女に彼は、
 ――じっとしてろ。
 と少し強い口調で命令した。幼女の躰が旋盤の動きに弾かれて、グラグラ安定しないのだった。踵が失くなり、足首まで失くなって、肉の表面が平らになると、幼女はもう少しもグラつかなかった。
 ――どうだ? もう痒くなくなったか?
 と尋ねてみる。と、幼女は赭い顔に笑みを拡げてなんども阿呆のように頷くのだった。
 ――大丈夫だ、すぐに生えてくる。
 彼も微笑を泛べて、ふくらはぎまで綺麗に削られた脚をみていた。まるで旋盤に癒着したように廻転する土台にちょこんと幼女は立っている。足をのめり込ませるように……。
 薄暗かった部屋に突然カーテンの隙間から光が差し込んだ。窓は締め切っているはずであった。前述したようにファンの影響は考えられなかった。光がさっと示した先は、彼の素裸だった。汗で湿ったシーツが重くめくれた下から性器が覗けていた。濃い陰毛の影からだらりと垂れ下がっている性器は、全体的に赤黒く、亀頭は縮緬様に細かく皺がより赤く美しかった。躰全体は汗のために湿って不快であるのに、よく見ると陰部のみは精液が乾いて白く付着している。けれどもそれは彼に清潔だと感じられるのだった。
 隣に横たわる色の黒い女が、不愉快そうな呻き声を漏らして眼を開き、非難する視線を彼に向けた。けれども彼は、それには気づかないようだった。女が寝返りをうった動きで寝台の骨組みがギィと啼いた。そこで初めて彼は女の方を向いた。
 女は彼の左側に寝ていた。(なるほど、確かにそうだ。以前なにかで読んだことがあった。女は男の利き腕とは、逆の側に眠る。男が女の躰をまさぐるためだ)
 左手をマットレスに突いて、躰を女に被せるように見下ろすと、仲の良い友人の恋人に似ていた。(名前は……。とにかく……。腹が減っている気も……。阪木の女だったろうか……。昨日……。先ほどの幼女に似ている……。)甘いパフュームがにおった。その香りは彼に好ましかった。菓子のようなにおいだった。友人の恋人の裸は(もちろん)はじめて眼にするものだった。蜂蜜色の皮膚が筋肉に隙間なくぴっちり張り付くようだった。眼をこらすと女の背中には、マットレスに敷いた綿のシーツがつけた細かな跡が無数についていた。彼はそれをじっと見つめていた。背中を彼に向けた女は、肩をしずかに、そして規則的に上下させていた。
 とても長い時間だった。頭上ではファンが、カチカチとなにかに引っかかって、擦り続ける音が鳴り続けていた。その音がすでに彼の耳には聞こえなくなるほど長い時間だった。


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